【シリーズ:病院長の植物園(第8回)】ニレケヤキ
イギリスに住んでいたころのことです。英国の家はどんなに小さくても前庭と後庭があります。
前庭はみんなと共有する庭で、後庭は自分のための庭なのです。
花や木が大好きなのは日本と同じでした。
ある日、盆栽を作りたいと考え、ガーデニングの店を訪ねました。
しかし、店には盆栽にできるような小さな木はありませんでした。
それはそうでしょう。英国には盆栽を楽しむという文化はないのです。知らないことは始められないのですね。
わたしは庭に植えるような大きな椿と楡(にれ)ケヤキを購入すると、幹を切り取って、背丈を小さくしました。
次の問題は、鉢がないことでした。日本にあるような、底に穴の開いた鉢が見つからないのです。
わたしは魚屋さんで、サザエとアワビの殻をもらって帰ると、いくつか穴をあけて、それを鉢として使うことを考えました。
それは見事にうまくいって、サザエには椿を、アワビには楡ケヤキを植え付けて盆栽に仕立てました。
その盆栽を見たときのイギリス人たちの驚きは想像以上のものでした。
彼らは、手のひらに乗るような樹木を見たことがなかったのです。
盆栽という日本独自の文化に、彼らは心から感動したようでした。
少し話は変わります。そうして知り合ったイギリス人の男性が、わたしにこんな話をしました。
「カズオ・イシグロを知っているだろ?彼は日本人じゃないのか?」わたしは日本人だけど、英国の暮らしが長いらしいと答えました。
「イシグロの書いた『日の名残り』を読んだんだが、イギリス人が書いたものとしか思えない。英国人の複雑な性格が、どうして日本人に理解できるのかね?」
わたしが彼に何と答えたのか、遠いことになったので覚えていませんが、日本へ帰国するとき、アワビの殻で作った盆栽を彼にあげました。
そのときの彼の表情は、イギリス人が滅多に見せないような歓喜をたたえていました。
後日談をしておきます。帰国後すぐに「もらった盆栽は3日で枯れた」とイギリスから手紙が来ました。
わたしは「それが日本の文化だよ」と返事を書きました。
長崎に5歳まで住んでいたというカズオ・イシグロは、それから20年ほどのちにノーベル文学賞を受賞しました。
いよいよコロナも第7波だそうです。
どう対応すればいいのか、日本だけでなく世界中がかたずをのんでいます。
暑さも例年以上に厳しいようです。みなさんご自愛ください。